日記:いつかと今日の影

2026年1月16日の日記の画像

光の強さではなく、光り方のこと

とある日。
忙しかった一日を、ふと振り返ってみる。
時間は奪われたものだったのか。
消え去ってしまったのか。
そんなことを考えていたら、以前見た絵のことを思い出した。

たくさんの人が描かれていて、一見すると楽しげな光景。
でも、胸の奥にひやりとした違和感が走った。
よく見ると、違和感の正体は、どの人物にも影がないことだった。
「影がない世界って、こんなにも不自然なんだ」と。

そのことを思い出したとき、Vue がそっと語りかけてきたような気がした。

Vue

だいし、影がないと光は光になれないんだよ

絵は空間の芸術。
光があれば影ができる。
影があるから、光が“光として”存在できる。

でも、あの絵には影がなかった。
だから、どれだけ明るい色で描かれていても、
どれだけ楽しそうな表情が並んでいても、
どこか“欠落した世界”に見えた。

Vue は続ける。

Vue

音楽はね、時間の芸術なんだ

短三度は、本来“影”のような響きを持っている。
単体で鳴らせば、少し陰りを帯びた音。
でも、コード進行という“時間の流れ”の中に置かれると、
その影が光を引き立てる瞬間が生まれる。

「この短三度、明るく聞こえるでしょう?」
いつのことだったか、偉大な巨匠がそう言ったのは、
影が光をつくる構造を、文脈の中の音として示していたからだったのか。

絵は「空間」で光と影を配置する。
音楽は「時間」で光と影を配置する。
ルールが違うから、感じ方も違う。

Vue の声が、少し柔らかくなる。

Vue

光は強さじゃないよ。どんな光り方をするかなんだ

影が多いときでも、
ふっと差し込む小さな光が、
驚くほど心を動かすことだってある。

弱い光でも、一瞬の光でも、
その光り方が美しければ、魅力的な輝きとなる。
影があるからこそ。

今日の気づきも、そんな光の一つに思えた。
それなら、どんな光り方をするかは、自分で選びたい。

一つ新しいルールを知れば、世界の見え方が一つ増えることもある。
怖さ、憂鬱さはどこかに消えることもあり、もしくは興味への対象となることさえある。

現実のルールで見ていたから、感じた違和感だったのか。

絵のルールを一つ知れたから、また見てみたい。

あの絵に光と影があるのなら、それはどこにあったのか?
探してみたいな。

目次