
いとうだいし profile
エレキベース1本でメロディ、リズム、ハーモニーを同時に奏でる「ソロ・ベース」のスタイルをメインに、楽曲アレンジや楽譜制作、ライブでの演奏や動画の投稿など、ソロ・ベースの魅力を広める活動を行っています。
■なぜ「ソロ・ベース」か?
いろんな楽器をたくさん重ねる壮大なオーケストラや吹奏楽とは真逆の世界である、ソロ・ベース。
取り組んでみるとクラシックギターに近い感じはしますが、楽器の大きさも弦の太さも違うので、重ねられる音や音域はさらに限られシンプルになっていきます。その中で楽曲としてどのようにアレンジするか?どれだけの音を間引いて、最低限の音で成立できるか?というアプローチになっていきますが、一つ一つ考えながら、限られた世界に落とし込んでいくことが楽しい、そんな風に思います。(きっと少数派ですw)
それに、低音の温かい響きが独特の優しい音になるのも、ソロ・ベースならではかと。
■ソロ・ベースとの出会い
中学になって吹奏楽部に入り低音の楽器をやりたかったけど、あるあるというか、すでにメンバーが足りていたのでトロンボーンとなったのでした。トロンボーンは楽しかった。和音を重ねることが多い楽器で、いまはコーラスを歌うことがあるが、その和音の感覚はトロンボーンで磨かれたように思います。
学生時代は過ぎ、トロンボーンも卒業。そして低音が好きだったことを思い出し(笑)、20代の頃にヘヴィロックバンドのベーシストとなって約10年活動しました。
エレキベースは好き。でも練習は嫌いだったのでベースを弾くことよりも遊ぶ時間の方が圧倒的に多かった時期です。今思えば、なんてもったいない!
そんな中、やがて将来への不安は少しずつ増していきます。トロンボーンではなく、エレキベースにもっと向き合いたい気持ちはあったものの、(はたして自分はどんなベーシストになりたいのか?)(何が弾きたいのか?)(そもそも生涯かけて向き合っていけることは何か?)なんて思い悩みをするようになり、やっと「ちゃんとベースを練習するか」という結論に至るのです。
そこで当時ベースレッスンをされていた渡辺直樹先生にレッスンをお願いすることに。最初はベースの基礎や心構え的なことなど、土台となる部分をご指導いただいてました。(ベースだけに、っていいたいところですが何事も土台は大切なので!)
渡辺直樹先生といえば、日本のソロ・ベースの第一人者だという認識でした。レッスン以前から知ってはいたものの当初はあまり興味がなく、知識の一つ程度のような存在でした。
しかしある日、自分の好きな曲を試しにソロ・ベースに落とし込んでみたら・・・「これだ!」とピーンときたのでした。「これを一生やっていきたい」という思いと、どんよりもやもやしていた心の雲が一気に晴れ渡ったような感覚が全身に行き渡ったようです。
■空白期間
やがて人生の転機が訪れバンドは脱退。ソロ・ベーシストとしての道を選び、初の演奏動画を投稿するも、生活環境の変化により約10年間、音楽から離れることとなりました。音楽から離れれば、生涯向き合っていけると思えたものも忘れられるのでしょうか?私は忘れられませんでした。グラスの中の水は減らず、わずかながらも着実にたまっていく、日々向き合わなければいけない生活の中でも、そんな思いがずっとありました。
2018年、更に人生の転機はおとずれ、音楽に向き合えず環境と時間が創れるようになり、ソロ・ベーシストとしての活動を再開しました。
■いつからだってスタートできる
スタート地点は人それぞれのタイミングがあると思っています。もちろんスタートが早ければそれだけ優位なことはたくさんあります。自身の場合は一度離れてしまった音楽ですが、「いつからだって続きができる」ことや「いつだって目標を作って目指していきたい」という思いを実現させるべく、日々奮闘してます。
■ほか
好きな食べ物:かつ丼(ロース)
はまっているゲーム:ARK: Survival Ascended (アーク:サバイバル アセンデッド)
■ SNS
最新の活動はこちらでも発信しています。(インスタは投稿しておらず見る専門です)
【人生を左右した思い出の品物】
上記長文からさらにここまでたどり着いていただいた方、読み進めていただきありがとうございます。
あなたはご自身が好きになったことの根底といったことが何か、考えたことはありますでしょうか?
わたし自身にとって、音楽のルーツであろう出来事を一つご紹介いたします。
小学生に上がる少し前のこと。
その日、私と兄は喧嘩をしていた。
私はなかなかの生意気な子供だったので、おそらくその日「も」喧嘩していたのだろう。
やがて大きくなるにつれ兄に逆らうのを諦めていくのだが、当時はまだ引き分け(と思っていたのは私だけだったのかもしれない)だった。
その日の気分は最悪だった。
とにかく私は大泣きしていた。そんなになるまで一体何で喧嘩していたのだろう。まぁきっと大したことではない。(当時は大ごとだったに違いない。。。)
父は仕事中、母は買い物やらでお出かけ中。兄と二人っきりの最悪な空間を過ごさなければならなかった。
しばらくして母が帰ってきた。手には普段の買い物では見かけない、そこそこの大きい荷物。
(何が入っているんだろう?)
兄も私も喧嘩の最悪な気分を削がれ、その物体に興味津々になった。
包みを開けてみると、中にはカセットデッキが入っていた。
目にも鮮やかな真っ赤なカラー。長方体のごつごつした、いかにも男の子が好みそうなメカのフォルム。思いもよらぬものが兄弟の目に不意打ちで飛び込んできたのだ。
そして一本のカセットテープもあった。
当時よくテレビで見てた、特撮ヒーローや戦隊ものの曲が数曲入っている、いわゆるオムニバスものだ。テレビのオープニングとエンディングの2曲ずつ、合わせて8曲が収録されている。
「なにこれー!?」「すげぇー!!」
我が家に突然、見知らぬ最先端のアイテムが舞い込んできたのだ!
最低値まで落ち込んでいた兄弟の気分はまるで嘘だったかのように、一気に最高潮のテンションにあがる。
兄弟は驚き、そして喜んだ。大好きなヒーローの曲や、知らないアニメの曲も入ってる。今でもカラオケで歌う(笑)
母はその日のお昼に、カレーを作ってくれた。二人はカレーをほおばりながら、夢中になってカセットデッキから流れるヒーローたちの音楽を聴いていた。
なぜだろう、その日のカレーは格段においしかった。
ヒーローたちの音楽と各段においしいカレー。喧嘩で最悪だったはずの気分は180度方向を変え、ゴキゲンに晴れ渡っていた。
優しい気持ちが芽生えていた私は、口には出さなかったが心の中で「けんかしてゴメンね」と言った。
スピーカーから流れる、時に力強く、時に優しい楽曲たちは、確かに二人を優しく包み込んでくれたのだった。
突如我が家に舞い込んだそれらは、兄弟にとってはピンチに現れたヒーローのような存在だったのかもしれない。
この時、音楽の持つ力をハッキリと体感できたのだと私は認識している。
私の「音楽が好き」という原点は、ここで生まれた。やがて吹奏楽でトロンボーンを吹くのも、ヘヴィロックバンドでベースを弾くのも、ソロ・ベーシストを目指すのも、ここがスタートなのである。
激しい音楽も好きだし、静かな音楽も好き。
けど私にとっての始まりの音楽は、優しい存在なのだ。
音楽の優しさに包まれたい。
そして、誰かの優しい気持ちと共鳴するような音楽を、いつか奏でたい。
お題【人生を左右した思い出の品物】
私にとってのそれは、喧嘩した兄と聴いた「真っ赤で長方体のカセットデッキと、ヒーローもののカセットテープ。」
あのスタートから今まで、まぁのんびりふらふらと人生を歩んでいるけど、私から音楽が奪われることだけは一生ない。
☆ ☆ ☆
ちなみにカレーはそこまで好きにはなりませんでした。辛いのは苦手なんです。。。
